2007年9月25日 (火)

国家は僕らをまもらない

 この週末には、娘が昼寝をしている間に、また、福田さんの自民党総裁選出の報道番組の合間を縫って、田村 理『国家は僕らをまもらない:愛と自由の憲法論』(朝日新書、2007年)を読みました。

 著者の田村さんについて、わたしは『フランス革命と財産権』(創文社刊)という著書でしか知りませんが、朝日新書に収められた上記の本を読むと、芯の通った憲法学者であることがわかります。

 また本書は、立憲主義の本質をわかりやすく説いているので、憲法を理解するための基本的枠組みを知るための、恰好の入門書だと思います。本書の内容を理解したなら、教養科目としての憲法は修めた、といってよいでしょう。

 憲法の本質を手っ取り早く理解しようという人にお勧めの一冊です。

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2007年9月19日 (水)

累犯障害者

Cimg0917  残暑お見舞い申し上げます。

 研究室のダンボールつめも一段落し、今日は、転籍にともない提出が要請されている文書の準備の合間に、山本譲司『累犯障害者:獄の中の不条理』(新潮社、2006年)を読了しました。

 著者である山本さんは、1996年に衆議院議員に当選し2000年には再選を果たしたのですが同年に政策秘書給与の流用事件を起こし、その服役中の体験談『獄窓記』を物した人です。この『獄窓記』には、服役中の障害者の処遇問題が、赤裸々な体験を下に書かれていました。

 本書では、さまざまな理由で福祉とつながることのなかった障害者が社会でも注目を集めた凄惨な事件を起こしてしまった経緯や、触法障害者が社会の中での居場所を失った存在となっている現状など、とくに軽度の障害者(もちろん、その多くは犯罪とは無縁の生活を送っているのだが)が福祉の場面でいかに軽視されているのか、そしてこのことが原因で、さまざまな刑事事件に巻き込まれてしまっているのか、という点が著者ならではの視点で述べられています。

 そのなかで著者は以下のようにいいます。「国会議員在職時、『セーフティーネットの構築によって、安心して暮らせる社会を』などと、偉そうに論じていた私。ところが、我が国のセーフティーネットは、非常に脆い網だった。毎日たくさんの人たちが、福祉とつながることもなく、ネットからこぼれ落ちてしまっている。そして、司法という網に引っかかることによって、ようやく生き長らえていた。そう考えれば、『刑務所は、行き場を失った障害者たちを保護する施設』ともいえるのではないか。」(223頁)

 みなさんは、著者の自省の言葉ともいえるこの激白に、どのような感想を持たれますか。

 【マイ・ライブラリー/最近の配架】

 江波戸哲夫『小説 盛田昭夫学校』上・下(プレジデント社、2005年)。

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2007年9月 5日 (水)

憲法と時間

Cimg0916  引越の準備ばかりしていると「なまる」と思ってので、今日は、少しお勉強をしています。

 あさ、読みかけていた Law Review を読んだ後、岩波講座「憲法」の第6巻『憲法と時間』を読みました。

 本巻は5月に配本されたもので、送られてきてから少しずつ読み進めてはいたのですが、ようやく収録論文の全てに目を通すことができました。

 内容は、日本国憲法制定の法理や日本憲法史、そして憲法保障制度などについて、11人の論者による論文が収録されています。11本を読み終えたなら、きっと「憲法と時間」というネーミングの意味が分かると思います。

 本日は、午後、教授会があります。たいした発言をするわけではないわたしには、定足数を満たすために出席するという重要な役割があります。やりがいのある仕事です。(笑)

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2007年8月23日 (木)

言葉の常備薬

 ひと雨くる毎に、少しずつ、秋の気配が感じられます。とはいえ、日中は、まだまだ暑いですね。

 今日も勉強しようと思っていたら、事務的文書の作成があり、結局「戦意」を喪失してしまい、読書に時間を費やしてしまいました。

 Cimg0828_2 本日の読んだのは、呉 智英『言葉の常備薬』(双葉社、2004年)です。

 言葉の正しい使い方、意味は、非常に難しいものです。わたしもおかしな表現をよくしてしまい、顰蹙をかっています。

 言葉の専門家ではないとはいえ、法理論の正否は、結局は言葉の力に大きく左右され、表現者の知力は「書いた物」を見れば一目瞭然ですから、呉の本を常用して、帯にあるように「知の滋養強壮」につとめたいと思います。

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2007年8月18日 (土)

憲法の原理

 昨日から勉強生活に復帰しています。

 とりあえず読みかけていた、宮沢俊義『憲法の原理』(岩波書店、1967年)を読了しました。

 宮沢俊義(1899-1976)は、いわずと知れた憲法学界の巨人。大日本帝国憲法の「改正」として日本国憲法を制定したことの法理論的整合性を保つために唱えられた「八月革命説」はあまりにも有名です。

 ちなみに宮沢は長野県長野市の出身。同郷の大憲法学者でもあります。

 その宮沢の論文集が1967年から1968年にかけて岩波書店と有斐閣から7冊の単行本として公刊されたのですが、『憲法の原理』はそのうちの1冊です。本書の紹介としては、長谷部恭男編『憲法本 41』(平凡社、2001年)の97頁以下に、押久保倫夫先生によるものがありますので、参照してください。

 憲法学者であるので、宮沢が書いた物は事宜に応じて参照してきましたが、まとまった形で勉強したことがなかったので、すこし意識的に読んでいこうと思います。『憲法の原理』を通読したので、つぎは同年に岩波書店から出版された『憲法の思想』を読みたいと思います。

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2007年8月 8日 (水)

反転

 暑い、暑い、暑い。みなさん、暑くないですか?

 ようやく成績つけが終わり、一段落したので、読みかけていた田中森一『反転:闇社会の守護神と呼ばれて』(幻冬舎、2007年)を一気に読み終えました。

 この本には、伝説の特捜検事から弁護士に転身し、石橋産業手形詐欺事件で実刑判決(上告中)を受けた著者の半生が記されています。それと同時に、この国のエスタブリッシュメント(表の主流派社会、正統権力組織)とアウトロー(裏社会、闇社会)との密接な絡み合いを描いたノン・フィクションとしても精度の高いものです。

 また著者は「法曹界の仕事は、しょせんドブ掃除である。人間のいちばん汚い部分の後始末をする。ならば、それにふさわしく、人間らしく、ときには汚く、リアルにやったほうがましだ、と考えてきた。ドブ掃除を綺麗事でやっても掃除にならないし、依頼人のためにもならない、という思いもあった。おかげで悪徳弁護士よばわりされたが、それでもいいと思っていた。」(339頁)といい、バブル絶頂期の自己の弁護士としての心情を吐露します。検察官と弁護士という二つの立場を経験した著者の言葉の中に、真の法曹人とは何なのかを考えさせる契機が読み取れます。

 【マイ・ライブラリー/最近の配架】

 夏休みに入り、注文していた書籍が続々と到着していますが、そのままダンボール箱いきです。

 橋本 努『帝国の条件:自由を育む秩序の原理』(弘文堂、2007年);内藤 淳『自然主義の人権論:人間の本性に基づく規範』(勁草書房、2007年);安藤 馨『統治と功利:功利主義リベラリズムの擁護』(勁草書房、2007年);ムルホール=スウィフト『リベラル・コミュニタリアン論争』(勁草書房、2007年);ルーマン『福祉国家における政治理論』(勁草書房、2007年)。

 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想:ポストモダンとは何だったのか』(NHKブックス、2006年);思想1000号(『思想』第1000号記念号);法律時報985号(特集・日本国憲法施行六〇年)。

 Arthur Ripstein ed., Ronald Dworkin (Cambridge U. P., 2007).

 それと新天地では時間管理を上手にしようと思い、小山龍介『TIME HACKS』(東洋経済新報社、2006年)なる本を購入しました。

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2007年7月 9日 (月)

リバタリアン宣言

 ブログの更新をする時間がないぐらい忙しくて(というのは言い訳ですが)、例の九州学会出張の帰路で、蔵 研也『リバタリアン宣言』(朝日新書、2007年)を読みました。

Cimg0737  この本は、社会のあらゆる事象において、「国がきちんとやるべきだ」という言論に対して、なぜ自らがやらないのか、そもそもそれは国がやるべき事なのかよく考えてみよ、という言説を撃った論争誘発的な書物です。にもかかわらず、新書という形態なので、主張内容がわかりやすく述べられている好書だと思います。

 リバタリアンというのは、新自由主義(古典的自由主義)者のことです。18世紀に登場した自由主義(古典的自由主義)はそもそもこのリバタリアン的要素を持っていました。それが20世紀に入り、経済的自由にもとづく社会・経済的格差を是正しなければならないという修正自由主義(現代的自由主義)が主張されるようになりました。それに対してもういちど古典的な自由主義の主張内容に戻ろうという主張が、リバタリアンと呼ばれる人たちにより、近年活発に行われています。

 彼らは、本書にもあるように、もともと「自由」とは国家による強制のない状態のことを言うので、「国がきちんとやるべきだ」という論調は、そもそも自由主義に対立する言説であるというのです。本書も、そもそも国家が本当にやるべきことなのか、国家の役割は何なのかについて考えてみなければならないと言い、国家のやるべきことは、実は、それほど多くないはずだ、と結論しています。

 わたしもこの論調、スカッとしていてよいと思うのですが、いまさら劇的に戻ることはできないとも考えています。

 たとえば、著者は「さて、現在の福祉国家のおこなっているような慈善的な活動は、そもそも強制力を使ってまで、嫌がる人から税金を徴収してなすべきことなのでしょうか。私にはそうは思えません。(原文改行)社会にホームレスが多すぎると考えるなら、そう思う人が自らの責任と資源の拠出において、ホームレスの救済を行うべきです。」(104~105頁)と言います。そしてこれを<国がきちんとやるべきだ>と考えている人びとに対して、(国が税金でやるべきだ、と考えている人に対して)こう言います。

 「それでは自分の収入のうち、いったいどれだけをホームレス対策に支払う気があるのか自らに問うてみてください。有り体にいうならば、誰か金持ちの『他人』の金で政策を実行するべきだという高邁な思想を当然視する前に、自分の金をどれだけ支払う覚悟があるのかを反省してほしいのです。」(105頁)

 わたし、この意見に大筋では賛成なのですが、もう自分の所得をこのように自由に処分できなくなっています。その原因が国家の税制です。

 わたしは、わたしの親の介護やわたしの子どもの養育・教育について、自分のお金と責任で行いたいと考えています。でも、すでに国家が、わたしの知らない人の介護や他人の子の教育のために、わたしの所得から税金をたんまりととっていっています。残された僅かな金銭は、わたしの生存の為に費やされ、毎月カツカツの生活です。もう、わたしの判断で、親や子どもにお金をかけることはできなくさせられています。そう、わたしは国家に隷属してしまっているのです。

 「国がきちんとやるべきだ」と考えている多くの人も、決して「高邁な思想」のためにそう言っているのではなく、もう自分たちにはどうすることもできなくらい、国家によって金銭的資源が枯渇させられてしまっているのではないでしょうか。結局、著者の言っていることと結論的な着地点は同じように感じますが、現状、今日明日の生活がかかっている人びとに対して、われわれにどうしろ、と著者は言うのでしょうか。

 みなさんはどのように考えますか。リバタリアンの主張を理解するためには、以下の2冊がお勧めです。

Cimg0738  左はデイヴィッド・ボワツ『リバータリアニズム入門:現代アメリカの<民衆の保守思想>』(副島隆彦訳、洋泉社、1998年)です。アメリカにおける「最小国家論」の考え方が要領よくまとめられています。

 右は蔵さんの著書の中でも紹介されていた、言わずと知れた、ロバート・ノージック『アカーキー・国家・ユートピア:国家の正当性とその限界』(嶋津 格訳、木鐸社、1994年)です。この本を読まずして、リバタリアニズムを語るな、ですね。

 【マイ・ライブラリー/昨日の配架】

 娘の絵本を買うついでに、麻生多聞『平和主義の倫理性:憲法9条解釈における倫理的契機の復権』(日本評論社、2007年);藤井俊夫『学校と法』(成文堂、2007年);シェルドン・S・ウォリン『アメリカ憲法の呪縛』(千葉 眞他訳、みすず書房、2006年)を購入しました。

 それと岩波書店に、岩波講座「憲法」第3巻『ネーションと市民』(第3回配本)を送ってもらいました。

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2007年7月 4日 (水)

ケルゼン自伝

 今日は本格的な雨降りです。

 先週末の九州出張の移動中に、長尾龍一訳『ハンス・ケルゼン自伝』(慈学社、2007年)を読了しました。

Cimg0736  本書はその名の通り、1881年生れ、1973年に没したヴァイマル共和制期の公法学者、国際法学者であるハンス・ケルゼンの自伝です。経済的には恵まれない家庭の中で学者を目指したこと、この時期のユダヤ人学者への迫害等、ケルゼンの研究環境を窺い知れる記述など、興味深いものでした。

 また、博士学位取得や教授就任をめぐるよくあるであろう人的関係、評価に関する四方山ごとも、比較的オブラートに包まずに記述されており、いつの時代、どの世界においても、なにかと大変だなぁ、と思いました。

 ケルゼンは、1907・08年にハイデルベルクに留学しておりそこでゲオルク・イェリネックの下で学んでいるのですが、イェリネックの学問業績を高く評価する一方で、その教師としての姿勢には批判的だったことも書かれていて、この部分も読んでいて面白かったです。

 最近、自伝書を読んで功成り名をあげている大学者も、研究生活においては山あり谷ありで、その部分だけは、小学者のわたしと変わらないと安心(?)しました。

 【マイ・ライブラリー/最近の配架】

 渡辺幹雄『ハイエクの現代自由主義:「反合理主義的自由主義」の諸相』(春秋社、1996年)をヤフー・オークションで落札しました。渡辺先生の著書は、その他のものは頂いていたのですが、この本だけ購入できずにいたものを偶然オークションで見つけて、よい買い物が出来ました。

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2007年6月 9日 (土)

所有と国家

 ちょっとずつ残っていたことを片づけるために、出勤しています。

Cimg0722  そのひとつ、読みかけていた稲葉振一郎と立岩真也の対談集『所有と国家のゆくえ』(NHKブックス、2006年)を読み終えました。

 『自由の平等』(岩波書店、2004年)の中で自由市場を擁護しつつもどちらかというと所得・富の平準化を重視していた立岩さんと、『経済学という教養』(東洋経済新報社、2004年)の中でどちらかというと経済成長を優先すべき立場を表明していた稲葉さんという、2人の新進気鋭の社会思想家による対談で、とても興味深いものでした。

 立岩さんのいう「分配する最小国家」、「ケインジアン最小国家」という発想、なかなか面白いと思いました。

 【マイ・ライブラリー/先日の配架】

Cimg0723  大学の書籍部に注文していた掘 巌雄『ロールズ:誤解された政治哲学』(春風社、2007年)が届きました。

 あの渡辺幹雄さんもまたロールズ本を出版したようですし、ロールズに関する文献は止まるところを知りませんね~(わたしもそうですが)。

 ところで、この掘さん、どこに所属されているかご存じでしょうか。

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2007年6月 1日 (金)

ならず者

 なんだか進歩のない1日でした。

 午前中は、来週の講義の準備をして、午後は、気にかかっていた学務(雑務)をこなす予定でした。午前中の講義準備は、まずまずだったのですが……。

 大学は、ここ数年のうちに、財団法人大学基準協会による認証評価を受けなければなりません。まぁ「大学として相応しいか」を第三者に評価してもらうのですが、もう、多くの大学ではこの認証評価にパスしているようです。わたしの勤務校も来年度に、この認証評価を受けるようで、大学基準協会に提出する文書(電話帳なみ)を作成する作業に、各教員が取りかかっています。

 わたしもずるずると後回しにしていると、余計に仕事が辛くなると思い、思い切って自分の担当部分について片づけてみよう(片づかないとしても、見通しをたてよう)と思い、担当部分の他の大学の文書をネットで見たのですが……

 まず、専任教員数(これは数えればよさそう)、その内訳(教授、准教授、講師と)。ここまではわかる。非常勤講師の数?、教員1人に対する学生の数?、研究室の面積?……。「もうやめた!」。

 午後は、中島義道『哲学者というならず者がいる』(新潮社、2007年)を読みました。

Cimg0716  何を隠そうわたしは、中島義道さんの本をかれこれ30冊近くは読んでいる「ヘビー・リーダー」です。中島さんのように、自分の気持ちに真っ直ぐに生きる人の気持ち、なんだかわかります。わたしなんか、本当の気持ちを隠して周りの人に合わせるように生きているので、中島さんから見たらきっと「醜い」部類でしょう……。

 ただこの本には、電通大での講義の様子や「日本酒を愛でる会」のことなど、中島さんの教員としての仕事ぶりや、中島さんを取り巻いている人たちの話があり、読んでいて結構普通の人だなぁ、と思いました。

 【マイ・ライブラリー/本日の配架】

Cimg0718  ここまできたら全部そろえないと気が済まなくなってきました。

 中島義道『醜い日本の私』(新潮選書、2006年)。

 追伸:このブログをお読みの方で、OfficeEastoのWeb蔵書管理を利用されている方、おられませんか。おられましたら、中島さんの本、登録できますか?わたしがやると、なぜか中島義道の本を登録すると不具合がしょうじます。これって、わたしだけ~。

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2007年5月25日 (金)

不平等起原論

 今日は久しぶりに本格的な雨が降りました。勤務校でも、正午前に、ちょっとした停電がありました。

 そんななか、読みかけていたルソー『人間不平等起原論』(本田喜代治=平岡 昇【訳】、岩波文庫、1933年[1972年改訳発行])を読みました。

Cimg0708  少し前までは1週間に1冊ぐらいのペースで本を読んでいたのに、ここのところ少しさぼっていました。久しぶりの読了に、今日は良い気分です。

 この本をかつて読んだことはあるのですが、それがいつだったのか、覚えていません。所有しているものが1994年発行のものなので、きっと大学院の修士課程のころのことだと思います。

 『人間不平等起原論』は、第1部と第2部とから成ります。

 第1部でルソーは、自由で平等な孤立した人間の世界として「自然状態」を構想し、この自然状態における不平等は非常に微弱なものであるとしています。その理由は、不平等の原因である財産の私有制がそこには存在しないからです。

 第2部では、所有権の設定により社会状態に入ったこと、財産の「不平等」を淵源とする富者と貧者、強者と弱者、主人と奴隷という関係が法律の制定により固定化されていったことが描かれています。

 わたしが『人間不平等起原論』から読み取れたことは、上記のことだけですが、本書に解説を施した平岡 昇氏は、ルソーが言いたかったのはそれだけではないとして、以下のように言っています。

 「ルソーは自然状態から社会状態への忘れられ、失われた長い行路を再発見することによって、人類の失楽園と理性の堕落の歴史を暗示しているのだ。極度に開明された現代の社会人(オム・シヴィル)とは、高度の学問や洗練された礼節のなかで、人間は何かを自問しようとはしないで、『徳なき名誉、知恵なき理性、幸福なき快楽だけを』もつにすぎないみじめな存在にすぎないし、単純だが、自分自身のなかに充足した全体的な生を享受している無垢な未開人にくらべて、自分の外に生き、他人の判断・意見から自分の存在の感情を引き出している、実体を失った虚偽の存在にすぎない。……これが専制社会における人間の悲惨であり、これがルソーの結論の重要な部分なのである。」(278~279頁)

 なかなかこういう深いところまで読み取ることは難しいので、解説の重要性を感じました。

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2007年5月 5日 (土)

論座と世界

 みなさん、連休はいかがお過ごしでしょうか。ゴールデン・ウィークで浮かれていると思うので、ここで少しお勉強のお話しを(いらないか)。

 5月3日をはさむこのゴールデン・ウィークには、さまざまなメディアで憲法について特集されます(もっとも、最近はこの傾向が薄れているように感じています)。

 日本国憲法施行60年の節目にあたる今年も、多くのメディアで憲法に関する特集がなされており、わたしも、朝日新聞社発行の雑誌「論座」(2007年6月号!)岩波書店発行の雑誌「世界」(2007年5月号)を購入し、少しお勉強しています。(まだ「論座」の方しか読んでいません)。

 「論座」には、加藤典洋さんが自身の10年前の著作『敗戦後論』で展開した日本国憲法「選び直し」論の今日における意味あいを検討した「新『敗戦後論』」、評論家・加藤周一さんとと憲法学者・樋口陽一先生の討論の後、気鋭の憲法学者・石川健治先生の「ラオコオンとトロヤの木馬」が掲載されています。

 石川先生といい、前掲の「世界」誌上で小説家・丸谷才一さんと討論をしている長谷部恭男先生といい、わたしとは決定的に読書量が違うと感じました。

 まぁ、嘆いても仕方ないので、ぼちぼちといきますか。

 ところで「論座」には「さあ本を片づけよう!?」という興味深い特集もります。これは11人の「蔵書家?」が登場し、自身の書籍整理法(捨て方)を述べたものです。といっても、なかなか捨てられない、というお話しなのですが・・・。わたしも仕事柄、少しずつ本が増えていっていますが、まだ、増えることを喜んでいる状態に止まっています。ただ、あと30年現役生活を続けるとすると・・・。

 【マイ・ライブラリー/連休中の配架】

 Martha C. Nussbaum, Frontiers of Justice:Disability, Nationality, Species Membership (Harvard University Press, 2006).

 高村学人『アソシアシオンへの自由:<共和国>の論理』(勁草書房、2007年)[著者の高村さんは、首都大学東京への就任を拒否した東京都立大学法学部所属の准教授とありました。応援するというわけではなく、本の内容が優れていそうだったので、購入しました]。

 野矢茂樹『他者の声 実在の声』(産業図書、2005年);稲葉振一郎=立岩真也『所有と国家のゆくえ』(NHKブックス、2006年)。

 保阪正康【監修/解説】『50年前の憲法大論争』(講談社現代新書、2007年);丸谷才一『裏声で歌へ君が代』(新潮新書、1990年)。

 岩波書店発行「世界」(2007年5月号)【特集】「施行60年目の憲法状況」;朝日新聞社発行「論座」(2007年6月号)【特集】「日本国憲法」。

 それと公務員志望の学生用に、資格試験研究会【編】『公務員試験 新スーパー過去問ゼミ2:憲法』(実務教育出版、2005年)を購入しました。

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2007年4月27日 (金)

ベッカーとポズナーのブログ

 いやいや明日からゴールデン・ウィークですね~。ところが、明日、またわたしは前任校まで出張です。いやはや。

Cimg0664  今日は久しぶりに読書をしました。読んだのは、1992年のノーベル経済学賞受賞者でシカゴ大学教授のゲーリー・S・ベッカーと第7巡回区連邦控訴裁判所判事でシカゴ大学ロー・スクール教授でもあるリチャード・A・ポズナーによる『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』(鞍谷雅敏=遠藤幸彦【訳】、東洋経済新報社、2006年)です。

 この本は2人の碩学のブログで取り上げられたホット・イシューとベッカーのコラムの翻訳です。ベッカーとポズナーが運営しているブログのURLはつぎの通りです。http://www.becker-posner-blog.com

 権利や法関係を経済学の視点から分析する学問を「法と経済学」と言います。ベッカーとポズナーはこの学問領域における碩学です。彼らは、政府の役割や福祉政策、ときに表現の自由や相続制度といった法学でも大きく取り上げられている問題について、経済学的視点から鮮やかに分析して見せます。法解釈に疲れた頭をリフレッシュするために、もってこいの本です。

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2007年4月11日 (水)

市民政府論

 昨日から風邪をこじらせてしまい、今日は、朝から自宅で静養していました。それでも、と思い立ち、娘をスイミングに送ってから、大学に来ました。

 そんな中で読んだ本が、ロック著=鵜飼信成訳『市民政府論』(岩波文庫、1968年)です。

Cimg0660  これはオレンジ公ウィリアムに仕えていたジョン・ロックがウィリアムの統治を、換言すれば、1688年のイギリス名誉革命を正当化するために物した書物です。

 よく知られているように、ロックの統治に関する論文は2つの部分からなっており、第1論文はサー・ロバート・フィルマーの「族父論」に対する批判であり、『市民政府論』は、ロックの統治論の後半部分である第2論文で、本文の中では明確に指摘されてはいまぜんが、ホッブスの絶対主義理論に対する批判となっています。

 またロックの理論は革命権、抵抗権を理論づけようとするものであっただけに、イギリスからの独立を果たし1776年に独立を宣言したアメリカの独立革命にも強い影響を与えました。

 この本も憲法学に関する古典中の古典ですので、一読することをお勧めします。

 【マイ・ライブラリー/昨日の配架】

 長尾龍一【訳】『ハンス・ケルゼン自伝』(慈学社出版、2007年);ジュリスト臨時増刊『平成18年度 重要判例解説』(有斐閣、2007年)。

 それと、公務員志望のゼミ生のために、資格試験研究会【編】『公務員試験オールガイド 2008年度版』(実務教育出版、2008年)を購入しました。

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2007年4月 2日 (月)

トロの傍聴記

 とうとう新学期になりましたね。もう春休みも終わりです。春といえば、今日、黄砂が蔓延していましたね。

Cimg0657  来週からの講義開始に備えるためにいろいろと準備しなければならないのですが、どうも気がのりません。そこで、今日は、北尾トロ『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(文春文庫、2006年)を読みました。

 雑誌連載を期に裁判傍聴マニアへの道を歩みはじめた著者による傑作裁判傍聴記です。法廷に表れる人間模様を巧みに描いた好書です。シリアスな内容なのに読んでいてついつい笑いを堪えられなくなった箇所が何カ所もあります。ちょうど新学期、法学部の新入生におすすめの一冊です。

 【マイ・ライブラリー/本日の配架】

 アマゾンに注文していたJohn Rawls, Lectures on the History of Political Philosophy (Samuel Freeman ed., Cambridge U.P., 2007)が届きました。

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2007年3月29日 (木)

万民の法

 一昨日(27日)に勤務校では卒業式が挙行されました。もっともキャンパス内に卒業生とその父母を収容するだけのホールがないので、市の「文化センター」の大ホールで式は行われました。個人的には大学の施設の「貧弱さ」をユーモラスに述べていた卒業生代表の答辞が一番、印象に残りました。

Cimg0655  少し心に余裕が出来たので、久しぶりに読書をしました。読んだ本は、ジョン・ロールズ『万民の法』(中山竜一【訳】、岩波書店、2006年)です。

 ロールズのLaw of Peoplesは原典で読んだことはあったのですが、訳本は読んだことがありませんでした。

 本書は、カントの「永久平和」論をもとに、国内的問題を扱っていた自らの「正義論」を国際社会に拡張させようとしたもので、「9・11テロ」以降の国際社会の動向、在り方を考察する際、参照すべき哲学書のひとつではないでしょうか。

 またロールズの戦争体験や彼が占領軍の一員として1946年1月までわが国で軍務に服していたことなどを伝える「訳者あとがき」もロールズの本書に込めた想いを感じるための手掛かりをあたえています。

 【マイ・ライブラリー/本日の配架】

Cimg0656  大学に入っている紀伊國屋書店さまから、来学期の教科書に指定した阪本昌成『憲法2:基本権クラシック』(第2版、有信堂、2002年)をいただきました。記して御礼申し上げます。(この書店は、教科書に指定すると、毎年、献本していただけるのでしょうか?)。

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2007年3月19日 (月)

売文生活

 先週の土曜日(17日)に本年度最後の会議があり、本年度の学務がようやく終了しました。半月後には、また、新学期が始まります。それでも、年に2度も長期休業のある大学教員は、世のサラリーマンの中では、恵まれているのかもしれません。

 今日は午前中に「洋もの」の論文を少し読み、昼過ぎの娘のスイミング・スクールへの送迎を終えた後、読みかけていた日垣 隆『どっからでもかかって来い! 売文生活日記』(ワック、2006年)を読みました。

Cimg0653  著者の生産量には恐れ入るばかりです。ただ、学者も論文を生産してナンボの職業ですので、著者の以下のくだりは身にしみました。

 著者は、文章を多産すると「質」のことを言う人がいるとして「それはもう読者の評定に委ねるしかない」とした後、以下のように言います。

 「たいていの場合『質』云々は、『量』をこなせないことの言い訳になっているので、現役の走者としてはひたすら量産を目標に歩んでゆくしかない。(原文改行)大切なことは、自分の鑑識眼と道徳心が合格印を押す範囲内で、たとえ小さなものでも成させ続けることだ。完成させずに、本来もっとよいものができるはずだ、と自分を騙してその場に留まるのは明らかに幻覚を見ているのである。」(174頁)

 わたしのこれからの学者人生でも、きっと書けない時が来ると思います。著者と違って、書かないと食べていけないわけではないので(サラリーマンだから・・・)、その分、甘いのです。「売文生活」を成立させるのは厳しいことでしょう。

 【マイ・ライブラリー/昨日の配架】

 娘の絵本を買うついでに、街の本屋さんで、以下の本を購入しました。

 原田武夫『国家の読み解き方:憲法学という教養』(勁草書房、2007年);山中 優『ハイエクの政治思想:市場秩序にひそむ人間の苦境』(勁草書房、2007年);中島義道『哲学者というならず者がいる』(新潮社、2007年)。

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2007年3月13日 (火)

陸と海と

 最近、心乱れた状態で、あまり勉強できていません。みなさんには、そういうことはありませんか?

 そんな中で、カール・シュミット『陸と海と:世界史的一考察』(生松敬三=前野光弘【訳】、慈学社、2006年)を読みました。

Cimg0649  本書を読んでまず「なるほど!」と思ったのは、その冒頭部分にあるわれわれが住んでいる星のことを「地球」と呼ぶことの不思議さを述べた部分です。

 「表面の広さについて言えば、地球はそのほとんど四分の三が水で、陸地は四分の一にしかすぎないこと、そしてどんなに大きな陸地といえども、まるで島のように水の中に漂っていることは周知の事実であるにもかかわらず、人間は自分の住んでいるこの遊星のことを『地球』と呼ぶのである。」(7-8頁)そう言えばそうですよね~。

 シュミット著とはいえ本書は決して取っつきにくいものではなく、訳者の一人である前野光弘による「復刊に際して」にあるように、上記のように「本来なら『水球』と呼んで然るべき筈の『地球』の四分の一しか占めない陸地から、水=海という別のエレメントへの決定的な転回によってなされる空間革命を軸とした」「壮大な世界歴史物語」(130頁)です。ただ、その中にも「シュミットが政治の本質だとする『友・敵理論』や『ノモス論』が駆使されてい」ます(「訳者あつがき」127頁)。

 まずは一読を勧めます。

 【マイ・ライブラリー/本日の配架】

Cimg0650  商事法務社さまから『TACTICS憲法』(画面左)をいただきました。たしかに「択一にも正しい戦術がある」と思います。学生に勧めます。

 また法律文化社さまから、手島 孝【監修】、安藤高行【編】『憲法新教科書』(画面右)をいただきました。これには編集者の手紙が入っており、それは関西のある研究会で知り合った大学院生(と思われる人)の名前の手紙でした。この場をお借りして、御礼申し上げます。

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2007年3月 8日 (木)

ひとり日和

 3月4日(日)から7日(水)まで、妻の実家のある、沖縄に行きました。毎年この時期に航空会社のバーゲン・チケットが手にはいるので、それを利用しての暫しの骨休めです。

 沖縄はダイキン・オーキッド・レディース・トーナメントの最終日だった4日を除き、沖縄の3月とは思えない寒い日ばかりでした。とくになにをすることもなかったのですが、毎食、豪華な食事の提供を受けました。

Cimg0648  幼子と一緒の行程だったので、読みたい本も満足に読めませんでしたが、この旅路で、第136回芥川賞受賞作である青山七恵『ひとり日和』(河出書房新社、2007年)を読みました。

 あまり文芸作品は読まないのですが、帯にもあるように、口うるさそうな石原慎太郎と村上 龍が絶賛した記者会見につられて、今回の芥川賞受賞作は読んでみました。

 やわらかいタッチで無駄な言葉を用いずに、主人公の心の機微を表現していて、あっという間に読み終えました。わたしは文芸評論家ではありませんが、なかなかよいのではないか、と思いました。

 【マイ・ライブラリー/最近の配架】

 沖縄に行っている間に、何冊かの本をいただきました。

 まず木下智史先生から『人権総論の再検討:私人間における人権保障と裁判所』(日本評論社、2007年)をいただきました。つづいて松田聡子先生から小高 剛=キャリーズ【編著】『アジア太平洋諸国の収用と保障』(小高 剛【監訳】、成文堂、2007年)をいただきました。さらに君塚正臣【編】『ベーシックテキスト憲法』(法律文化社、2007年)を執筆者一同さまよりいただきました。わたしのような無名学者にまでご本をいただき、ありがたいことです。

 大学の売店に注文していた以下の本も届きました。

 ホルクハイマー=アドルノ『啓蒙の弁証法』(岩波文庫、2007年)、阿川尚之『憲法で読むアメリカ史』上・下(PHP新書、2004年)。

 Amazonマーケット・プレイスで手に入れたルソー『政治経済論』(河野健二【訳】、岩波文庫、1951年)も無事届きました。

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2007年3月 1日 (木)

社会契約論

 はやくも3月になりました。2月は「逃げる」と言いますが、本当に「逃げてしまった」ように思います。3月は「去る」と言うので、あっと言う間に去らないようにしたいものです。

 今日は、古典読書シリーズ第2弾としてルソー『社会契約論』(桑原武夫=前川貞次郎【訳】、岩波文庫、1954年)を読みました。

Cimg0626  「人間は自由なものとして生まれた、しかもいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているようなものも、実はその人々以上にドレイなのだ。どうしてこの変化が生じたのか?わたしは知らない。何がそれを正当なものとしうるか?わたしはこの問題は解きうると信じる。」という有名な書き出しではじまる本書は、自由な存在であるはずの人間を政治権力の支配下におく「社会状態」が、なぜ正当化されるのかを説いた書物です。ルソーはその支配の正当性を人民の「一般意思」に基礎づけることで、「社会状態」においてもなお、人民は自由であり続けられる、という説明を行いました。ルソーの構想した国家は、全人民を主権者とする直接民主政の国家だったのです。彼の思想は、立憲君主政に対抗する革命思想であり、現に、フランス革命に思想的基盤を提供しています。

 ちなみに本書の書き出しにある「どうしてこのような変化が生じたのか?」の部分、すなわち「自然状態」からどうして「社会状態」に移行せざるを得なかったのか、については、これも有名な『人間不平等起原論』で述べられています。「わたしは知らない」わけではないのです。この本もいずれ紹介します。

 ルソーが『社会契約論』を執筆した当時の時代状況については、文庫本に付された河野健二「解説」を参照してください。

 また『社会契約論』が日本憲法学に与えた影響については、長谷部恭男【編】『憲法本41』(平凡社、2001年)に収録されている山元 一先生の紹介を読んでください。

 【マイ・ライブラリー/本日の配架】

Cimg0627  宮崎哲弥『新書365冊』(朝日新書、2006年)。今をときめく評論家、宮崎哲弥氏による新書の書評。裏表紙に「毎月60~100冊を読み続ける斯界きっての〝新書読み〟」とあります。本当でしょうか。本当だとすると、わたしが所蔵している新書は、1年で読み尽くされてしまいます。

 もう1冊は、長尾龍一『法哲学入門』(講談社現代新書、2007年)です。これは1982年に日本評論社から出版された同名図書の文庫版です。日評の本ももっているのに、間違って買ってしまいました。

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2007年2月26日 (月)

勉学術

 今日は午後の教授会で、卒業判定が行われます。そのために出勤です。

 この週末に、白取春彦『勉学術』(ディスカヴァー、2006年)を読みました。

Cimg0620  基本的には勉強の仕方、とくに図書を用いた、勉強の仕方を著者の体験をもとに述べた本です。

 いくつか肯けるところがありました。たとえば、難解だと思われるテーマほど、解説本(入門書)ではなく、原典にあたるべきであること。これなどロールズを勉強してみて、わたしが感じたことと同じです。ロールズに関する解説本がいかに解説者の視点から書かれているものであること(わたしの著作も他の人が読めばそのはずです)、ときに誤解や謬見ではないかと思われる部分があることは、ロールズの原典に直接あたらなければ分からないことです。もっとも本当は原典にあたるべきでしょうが、日常的な読書では、翻訳本で済ませざるを得ません。そもそも外国語を日本語に移し換えることは不可能だと思われるので、大抵の翻訳本は原典より難しく感じます。仕方ないことかもしれませんが、ロールズの翻訳本も、非常に難解です。

 また、本は買って読め、とありました。これもよく言われる事だと思います。著者は、その理由を「借りた本で得た知識はその本を返却したときに消える。ウソのようは本当の話しだ。」(41頁)としています。著者はそのメカニズムを述べていませんが、わたしが考えるに、まず自分の書棚にその本があれば、いつでも内容が確認できること、また、ふいに目を書棚に転じたときに目に入ってきた背表紙からも、その本の内容を思い起こすことをするであろうこと、さらに、たとえその本を読んでいない場合でも、内容を手にとって摘み読みできること、自分の本ならこれだけの効用があると思われます。

 図書館は、絶版などの理由で入手が困難な場合、つぎに購入する本の「見本市」として利用すべきである、と著者は述べていました。

 最後に、感情の乱れや不健康は、勉強に大きな支障を与えるとあります。自分の感情をコントロールすることも、本を読むことによって身につけられる能力だと、著者は言っています。

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2007年2月22日 (木)

宮崎市定・論語

 入試の合否判定や卒業判定などで、なんやかやと忙しいですね~。入試の合否判定には1回1回、教授会が開催されるので、会議が目白押しです。

 そんな中で、宮崎市定『現代語訳 論語』(岩波現代文庫、2000年)を読みました。

Cimg0615  宮崎市定はわたしと同郷の高名な東洋史学者です。

 以前、紹介した呉 智英の『現代人の論語』(文春文庫、2006年)が「論語の裏話」を痛快に描いた面白い読み物だったのに対して、宮崎市定のものは「古典を能う限り読みやすくして後世に伝えることが、現今の我々研究者に課せられた義務と言うべきであろう」(「後語」346頁)と著者が言うように、論語を大変読みやすくした書物でした。

 論語を読みたいと思っている人に、まずはじめに読むものとして推薦できるものだと思います。

 【マイ・ライブラリー/最近の配架】

Cimg0616  大学の書店に注文していた以下の新書が届きました。

 菊池理夫『日本を甦らせる政治思想:現代コミュニタリアニズム入門』(講談社現代新書、2007年);工藤庸子『宗教 vs. 国家:フランス<政教分離>と市民の誕生』(講談社現代新書、2007年)。

 それにしても、講談社現代新書はいつの日からか随分と「味気ない」表紙になってしまいましたね~。

Cimg0617  それと、ヤフー・オークションで、大航海の2007年61号「特集 ケインズ/ハイエク」を落札しました。送料を含めても定価よりだいぶ安く上がったので、よかったです。

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2007年2月13日 (火)

国家の罠

 3連休、みなさん、どのように過ごされましたか。

 大学教員はまだまだ忙しく、後期の成績評価は終わりましたが、今週には修士論文の最終試験(口頭試問)があります。そのために、論文の評価をしなければなりません。Cimg0607_1

 ところで、この週末を利用して、佐藤 優『国家の罠:外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社、2005年)を読みました。著者は、日本とロシアとの外交を舞台として、具体的には背任と偽計業務妨害罪に問われている外務相職員(起訴休職中)です。

 この本では、まず前半で、対露外交をめぐるインテリジェンスの状況が生き生きと描かれています。また小泉政権での<田中眞紀子外相-著者の盟友鈴木宗男衆議院議員-外務省という組織>というトライアングルの中でなにがあったのか、ということが明確に記述されており、読む者を飽きさせません。

 さらに本書の焦点である著者の主張は、後半部分で扱われています。著者は、対露外交をめぐる著者自身の逮捕(およびそれを機縁とした鈴木宗男衆議院議員の逮捕)は、「国策捜査」であったとしています。

 著者は、2000年までに日露平和条約を締結するという時の政権の国策のために、手段を選ばずに奔走したことが、今度は別の国策で逮捕されたとしています。この別の国策というのが日本の「ハイエク型新自由主義」への転換としているところなど、さらに検証されるべき点が多いとは思いますが、将来外交官をめざす若い諸君にとくにお薦めいたします。

 2030年には、当時の外交文書の秘密期限が切れて、公開されることになります。「正当に業務を遂行する特殊情報を担当する外交官を国策捜査で逮捕したことにより、『日本の対外的信義・信用が著しく損なわれた』」(388-389頁)とする著者の結論が、本書における著者の記述およびとともに検証されるのは、それからとなるでしょう(ただし、著者も言うように「外務省から本事件や鈴木宗男氏、東郷和彦氏、私に関連する文書が消え去ってしまわない限り」(388頁)ですが……)。ただ、往時なにがあったのかということの歴史的価値に気づかせた本書の意義は、非常に大きいと思います。

 【マイ・ライブラリー/最近の配架】

Cimg0606  日垣 隆『個人的な愛国心』(角川書店、2007年);中野剛充『テイラーのコミュニタリアニズム:自己・共同体・近代』(2007年)。

 また、有斐閣さまより、『小六法』の平成19年版をいただきました。この場をお借りして、御礼申し上げます。

Cimg0605  さらに、甲斐克則【編】『遺伝情報と法政策』(成文堂、2007年)を、共著者の吉田仁美先生よりいただきました。ここに謹んで御礼を申し上げます。

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2007年2月 5日 (月)

人格障害

 きょうは入試監督で出勤しています。受験生にとっては救いの暖かい入試となりました。

 先週末に、大泉実成『人格障害をめぐる冒険』(草思社、2005年)を読みました。

Cimg0572  人格障害という概念をめぐる書物かと思って読み始めたのですが、いや実際にはじめの方はそうだったと思うのですが、途中から、宮崎 勤、麻原彰晃、各地で起こった少年事件の加害者、宅間 守といった市井を困惑させた人格障害とおぼしき人物の人となりに関する記述で占められています。

 そして著者は、わたしたちが彼らに人格障害であるとレッテルを貼ることで、あのような事件はわたしたちと同じ普通の人ではなく、人格障害の特殊な人が起こしたことなのだ、と思い込み安心しようとしていると言います。ところが、その鑑定に使われる『DSM-Ⅳ』(アメリカ精神医学会発行『精神疾患の診断・統計マニュアル』第4版)の基準をみると、わたしも幾つか当てはまっているような……。

 ただまだこの言葉には、精神医学的には確立された概念などなく、そうなる原因も治療法も明確でなはいようでした。結局のところ「人格障害という言葉は、多くの『わけのわからない暴力』に対して一つの鋳型の役割を果たしてきた」に過ぎず「当然のことながら、生きた人間を『人格障害』をいう言葉でくくりきってしまうことなどできはしない。それは彼らの行動の表面に現れている共通の傾向を束ねているにすぎない。」としていました(195頁)。

 【マイ・ライブラリー/本日の配架】

Cimg0573  刊行されたら配本してくださいと売店に頼んでいた、村岡晋一=小須田 健=吉田 健=瀬嶋貞徳=今村仁司【訳】『マルクス・コレクションⅦ:時局論㊦、芸術・文学論、手紙』(筑摩書房、2007年)を入手しました。

 【漫画本】先週Cimg0574 は『マスター・キートン』の第7巻を読みました。

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2007年2月 1日 (木)

ミル・自由論

 2月に入り、春休みを謳歌している学生も多いことでしょう。われわれ教員は、講義のないこの時期こそ研究に勤しまなければなりませんので、結構きついです。

 ところでわたしは時宜に応じて「古典」を再読しております。そろそろ古典を再読する時期だと感じたので、まず手始めにJ・S・ミル『自由論』(塩尻公明=木村健康訳、岩波文庫、1971年)を再読しました。

Cimg0571  この本は何度読んだことでしょう。すくなくとも学部時代に1回、大学院時代に1回は読んだと思います。再び読んでみて、以前に書き込んだ言葉や線を引いたところを見て、懐かしく思いました。

 ミルのこの本は、民主的政府であったとしてもその権力は制限されなければならないこと、個人の自由を制約する原理として他者加害原理を提示していること、表現の自由の価値論など、憲法の古典として非常に重要な意義をもっています。

 このことは樋口陽一が『憲法入門』(3訂補訂版、2005年)の末尾「何を読んだらいいのか?」の章で「19世紀自由主義の精髄に接するためには、何より、ジョン・スチュワート・ミル『自由論(1859)』(塩尻公明=木村健康訳、岩波文庫)が必読の古典である。」(186頁)と紹介していることからも、また岩波文庫に付された「解説」において、木村健康が「『自由』の問題を考える場合には、必読の書である」(280頁)としていることにも例証されています。

 またミルの『自由論』は、山岡洋一の訳文により、光文社古典新訳文庫からも刊行されています。こちらの方には長谷川 宏の解説もあるので、いずれ読み比べてみようと思います。

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2007年1月29日 (月)

立派な父親になる!

 来年度の大学紹介のパンフレットの学部教員の紹介欄にわたしの事が取り上げられることになり、いま記者とカメラマンの取材を受けました。来年度の入試パンフレットを期待してください。

 はなしは変わって、昨日は娘の誕生日でした。これを期に、娘が生まれたときに購入して以来、読もう読もうとは思っていたものの「積ん読状態」になっていたパンフレットを読みました。

Cimg0568  そのパンフレットというのは林 道義『立派な父親になる』(童話社、2001年)です。家庭における父親の役割は、子どもに規範意識を植え付けることにあるようです。その基盤となるのが父親自身の規則正しい生活であるとのことでした。

 そこで早速、わが家でも家訓を作りました。それが「一、早寝早起き朝ご飯。」「一、空気を読め」(妻の機嫌が悪いときに)……。2つ目、これがなかなか難しい。

 【マイ・ライブラリー/本日の配架】

Cimg0569_1   野沢龍介監修『これから聴きはじめる人のクラッシック超入門』(河出書房新社、2006年)。「のだめ~」以来、クラッシックブームが到来しているようです。

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2007年1月20日 (土)

ローズによるミルトン

 今日明日と「大学入試センター試験」が実施されます。いよいよ本格的な受験シーズン到来、といったとこでしょうか。

 今日は妻と娘の友達がわが家に来るとのことで、わたしは、大寒なのに、大学に行くことに・・・。「亭主、元気で留守がよい」。

 同僚諸氏はセンター試験の監督をしている中、わたしは一人研究室で、R・D・フリードマン『ミルトン・フリードマン:わが友、わが夫』(鶴岡厚生訳、東洋経済新報社、1981年)を読みました。

 この本は、昨年亡くなったノーベル賞経済学者ミルトン・フリードマンの功績を妻ローズが語った「伝記」です。ただ、生い立ち、業績、家庭生活などいわゆる伝記の内容を呈しているものの、筆者自身もミルトンとシカゴ大学で同期生だった経済学者であることもあり、とくにミルトンの業績については恰好の入門書となっていると思います。

 とくにわたしの印象に残っているのは、大学の休業期を過ごすための「サマー・ハウス」(別荘)を購入し、大学の講義期はシカゴで過ごすけれども、休暇に入るとこの「サマー・ハウス」を訪れで山の生活(その中には当然、研究も含まれる)を楽しんだ、という件です。そういえばわたしの師匠も別荘をもち、何回も招待されたことがあります。わが身を翻ると、毎月の家賃にも汲々とする生活を送っており、別荘どころかマイホームの購入も「夢のまた夢」です。この違いはどこから来るのでしょう。

 一攫千金を狙った宝くじは買い忘れ、年賀状も切手シート3枚しか当たりませんでした。わたしは金目のものには縁遠いのでしょうか・・・。

 【ひとくちメモ】大学入試センター試験

 正式名称を「大学入学者選抜大学入試センター試験」というこの試験は、1979年から実施されている共通一次試験の後を引き継いで、1990年から実施されている。もともとは国公立大学の受験者用の試験であったが、現在では多くの私立大学も、この試験を利用した入試制度を採っている。昨年(2006年)からは英語にリスニング試験が導入されたが、これに利用されるICプレイヤーがくせ者。初詣のさいに「プレイヤーのトラブルが起こらないように・・・」と願った大学関係者もいるぐらいだ(笑)。よく金沢大学会場での大雪の状況を目にすることがあるが、どういうわけか、センター試験の当日は雪になることが多いようである(ちなみに、本年はその心配はないであろう)。

 【マイ・ライブラリー/本日の配架】

Cimg0502 瀧川裕英『責任の意味と制度:負担から応答へ』(2003年)、宮崎市定『現代語訳 論語』(岩波現代文庫、2000年)。

Cimg0504 今年は『論語』を勉強しようと思っているのですが、小学館から刊行されている「サライ」の2007年2月1日号で『論語』の特集が編まれていました。(決して「炒飯名人」になろうと思ったのではありません)。

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2007年1月13日 (土)

ゴ・チエイの論語

 今日も次週の講義準備のために出勤です。

 講義準備のかたわら、呉 智英『現代人の論語』(文春文庫、2006年)を読み切りました。Cimg0468

 「論語読みの論語知らず」という諺があります。これは論語は読んだことがあるが、論語の本当の思想が理解されていないことを指した諺です。その理由を著者は、論語の経学化にあると言います。(ちなみに著者は、論語は読まれてすらいない、とも言っています)。

 「本書で、論語の真実がいかに知られていないか、私は何度も強調した。我々が知っている論語は、経学化した儒教のいわば検閲を通過した論語なのであり、その断片を我々は学校教育やさまざまな訓辞の中で教えられてきたのだ。」(223頁)

 わたしも論語には儒教道徳に基づく人生訓に彩られた「格調高い」古典だと思っていましたが、真の論語はどうもそれだけではないようです。この本を皮切りに、孔子やその弟子の言葉にある本当の思想を探りたいと思いました。

 「古典をただあがめるのではなく、その中に先人の思想を読み取ろうとするなら、断片的な章句をお経のように唱えるのではなく、その全体像を把握しなければならない。」(269)

 読書するときの心得でしょう。

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2007年1月 7日 (日)

虚業家かも・・・

 今日は「七草」。わが家でも七草粥をいただきました。きっと正月に疲れた胃袋を休ませる意味のある日だと思うのですが、まずは「ビール」(もちろん発泡酒でもないあれ)からわが家の少し早い夕食がはじまったのは言うまでもありません。

 ところで、よく「先生」と呼ばれる職業には裏表がある、と言われます。医者、弁護士、教師、用心棒・・・と「先生」と呼ばれる職業を思い浮かべた時、たしかに・・・と思わざるを得ないところもあります。あっと、わたしも「先生」と呼ばれる職業の端くれでした・・・。そんなこんなで今日、古谷 浩『大学教授は虚業家か:学園のいびつな素顔』(早稲田出版、2003年)を読みました。Cimg0443

 以前から大学における「いびつな」人間関係、大学組織の閉塞感といったものを仄聞していたのですが、著者の体験、実際の取材をもとに書かれた本書は、あくまでもフィクションである筒井康隆『文学部唯野教授』(岩波現代文庫、2000年)のノン・フィクション版として、興味深いものでした。Cimg0447

 ショッキングな内容を赤裸々に綴った本書からも考えさせられる点が多々ありました。たとえば、著者は「分かりやすい授業のあり方及び学生の学習意欲の掘り起こしなどが、学内でもっと熱心に議論されるべきである。」として「難しい言語を使っての講義は中身が伴わないことが多い」。「教える側がいわゆる『いい格好』をしているとしたら、それは、もはや本当の教育ではなく、学生がついてこなくなる。いわゆる学力がなく、また教えることに自信のない教員ほど見せかけを重んじがちで、学生を引っ張っていけないようだ。」(149-150頁)と言います。自分のことを言われているようでした。

 また「これからの大学教員はこれまでのような、『のほほんとした』、そして世間から『ズレ』た状況の中では、生きていくことが出来なくなるとの認識を急速に深めるべきなのである。」(210頁)と言います。先人の有難い言葉として、胸に刻み込みたいと思います。

 なんとも、これからの大学人はタイヘンだ、と思いました。まあ「ぼちぼち」やるしかありません。

 【マイ・ライブラリー/最近の配架】

 娘の誕生日が近いので絵本を数冊買いに街の本屋さんに出掛けたついでに、以下の2冊を購入しました。Cimg0455

 シャンタル・ムフ『民主主義の逆説』(葛西弘隆訳、以文社、2006年)、マイケル・ウォルツァー『政治と情念:より平等なリベラリズムへ』(齋藤=谷澤=和田訳、風行社、2006年)。

 また朝比奈隆が1996年5月16日にシカゴ交響楽団の定期演奏会でブルックナー交響曲第5番変ロ長調を指揮した模様を収録したDVDがAmazonから届きました。Cimg0453_2

 さらに竹書房から刊行されている「パーフェクト・アーカイブ・シリーズ」の第8弾『機動戦士ガンダム:ジオンSIDE』を買っちゃいました。Amazonのマーケット・プレイスで注文していた、さだやす圭の『ああ播磨灘』25巻と27巻(モーニングKC)が年末年始にかけて、続いて届きました。これで『ああ播磨灘』(全28巻)が揃いました。

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2006年12月28日 (木)

週末ではないけれど読書

 みなさま年末休みはいかがお過ごしでしょうか。わたしは雑務に追われています。

 雑務の中でも一番面倒なのが「出席カード」の整理です。後期授業開始以来、常々やろうやろうとしていたもののなかで一番気になっていたのがこの「出欠カード」の整理なのです。ただこれをやり始めると実に大変。そのうえ面白くないときている。とくに非常勤先の受講者名簿は学籍番号順になっていないので(選考順?コース順?)大変です。目がチカチカします。

 「出席カード」整理の合間をみて、阿部謹也『大学論』(日本エディタースクール出版部、1999年)を読みました(図書館の本なので写真はありません)。著者は、元一橋大学の学長で、ブログでも紹介したとおり、本年9月に逝去しています。

 本書のなかでわたしが一番感銘を受けたのは、著者の「教養観」です。著者は本書の中で「教養」を以下のように定義しています。

 「教養というのは社会の中で自分の位置を知ろうとする努力、あるいは知っている状態、あるいは知ろうとする努力の総体を言う。つまり、社会の中で自分はどう生きているのか。どういう状況にあるのか。何ができるのかということを知ろうとしたり、知っている状態を教養と言うのだ。」(86頁)

 つづけて、社会の中で自分の位置・状況を知ろうとしたところに「個人の誕生」を見て、世界史的には12・13世紀のことであった、と言います。

 著者によると、社会の中での自分の位置・状況を考えるために参考となったのが「古典」でした。12・13世紀当時、そういった思考の手がかりとなるものは、古典しかなかったとしています。この古典はラテン語で書かれていたので、古典語ができる人は教養のある人だ、と考えられるようになり、それがやがて、古典の作品を読むことが教養と同義語になっていった、と言います。

 「そうか!なるほど!」と思いました。

 この他にも著者は、大学をめぐる四方山のことについて、開陳しています。

 たとえば、学生による授業アンケートについて、「学生というものはどんなに勉強しない学生でも優れた教師を峻別することができるののである。」(175頁)と言います。また、大学の建物については、以下のように言っています。

 「わが国にはハコモノという言葉がある。それは施設の中でも建物のことをいうらしい。ハコモノという言葉には研究や教育の内容は込められていない。……研究・教育の場としての建物は研究・教育にふさわしいものでなければならず、そのためには研究・教育の深い関わりをもつ人たちによって設計されなければならない。……そこに入れば特定の雰囲気が感じられ、衿をただして学ぶ姿勢を想起させるような建物でなければならないのである。」(191-192)

 「大学改革」が叫ばれている昨今。大学に身を置く者として、さまざまな場面で、大学論というものを耳目するようになりました。わたしの読書の一部にも「大学論」が取り入れられています。

 とまぁ、なんやかやと言いましたが、また「出欠カード」の整理に戻ります。

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2006年12月25日 (月)

週末読書

 みなさまはどのようなクリスマスをお過ごしでしょうか。わたしはこのクリスマス休暇を利用して、年賀状を書きました。120枚程度、一気に書き上げて、気分爽快です。

 年賀状を書く合間に、飛田重雄『アメリカ合衆国憲法を英文で読む:国民の権利はどう守られてきたか』(中公新書、1998年)を読みました。Cimg0365

 英文学者による合衆国憲法の逐語訳ですが、アメリカの憲法理論に造詣の深い者でもこれだけの訳文を作ることは困難であると思われます。ときに垣間見られる「法律学者はもっと正確な日本語を書いていただきたい」(109頁)、「学者の訳とはとても思えない」(131頁)という辛らつな批判も、甘受しなければならないほどに、できばえのよい本だと思います。

 著者は市井にある合衆国憲法の翻訳本を評して「訳語にしても解釈にしても、単に大先輩や多数派に倣っているだけ、と思われるケースが数多く見受けられました。これからは一語一句、入念に検討して、可能な限り正確で明瞭なものに改める勇気を、心から期待いたします。」(271頁)と本書の最後に述べています。肝に銘じるべき言葉でしょう。

 【趣味のコーナー】

 先週は、勝鹿北星【作】、浦沢直樹【画】『MASTER キートン』第4巻(小学館、1990年)を読みました。Cimg0288

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2006年12月17日 (日)

週末読書

 16日(土)には、京都の研究会に出席しました。ドイツとアメリカの憲法の翻訳に関する2名の京大教授による報告が興味深かったです。

Cimg0278  今週はジョン・グレイ『アル・カーイダと西欧:打ち砕かれた「西欧的近代化への野望」』(金 利光訳、阪急コミュニケーションズ、2004年)を読みました。

 著者は、西欧社会の近代意識が幻想にすぎないものであることが、9・11テロにより明らかになった、といいます。「科学知識が発達し、近代化が進むにつれて人間の価値(観)は一つに収斂されてゆく。こうして似通った、世俗的で穏やかな社会が世界に広がり、やがては単一の普遍的文明が地球の隅々にまで行き渡る、という思い込みがそれだ。だがこの思い込みは近代の神話であり、幻想にすぎない。」(181頁)としたあと、この幻想を粉々に打ち砕いたのがアル・カーイダであるとします。グレイの筆は止まりません。「人類は科学が解き明かす原理に導かれ、約束された、ただ一つの理想に向かって進歩するという思い込みは、実証主義が広め、やがては近代西欧社会を支配するに至った神話にすぎないのだ、と。近代の落とし子であるアル・カーイダは・・・、近代を象徴するアメリカの心臓部にテロ攻撃を仕掛けることで、この神話をこなごなに打ち砕いた。」(181‐182頁)。

 テロ行為は断罪されるべきですが、その原因を考えてみるために必須の思想書であると思います。

 【趣味のコーナー】

 京都からの帰途で勝鹿北星[作]=浦沢直樹[画]『MASTERキートン』第3巻(小学館)を読みました。Cimg0283

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2006年12月10日 (日)

週末読書

 昨日の土曜日は、岡山の駅前ホテルで開催された「父母懇談会」に出席しました。ある学生のひとつ違いのお姉さんに会えたことなど、サプライズもありました。またある学生のお父さんはまだ40代前半とのこと。わたしと学生の関係も、兄弟から親子に移りつつあると思い、複雑な心境です。

 ところで今週は、チャールズ・ウィーラン『裸の経済学』(青木榮一訳、日本経済新聞社、2003年)を読みました。さまざまな「社会現象」「人間行動」(その中に法律問題も含まれる)などについて、経済学の視点(経済分析)により鮮やかに解説してみせる手法は、以前読んだことのある、ステーヴン・ランズバーグの『ランチタイムの経済学』(佐和隆光監訳、吉田和子訳、ダイヤモンド社、1995年)やベッカー夫妻による『ベッカー教授の経済学ではこう考える』(鞍谷雅俊=岡田滋行訳、東洋経済新報社、1998年)と同様、痛快でした。「法現象」も人間の行動に基づくものなので、法を学ぶ人たちにも、是非とも読んでもらいたい分野の書籍です。Cimg0269 ウィーランの『裸の経済学』は図書館の本なので、映像はありません。掲載されているものは『ランチタイムの経済学』と、リチャード・ポズナー&ゲーリー・ベッカー『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』(鞍谷雅俊=遠藤幸彦訳、東洋経済新報社、2006年)です。

 最後に『裸の経済学』の中に引用されていたフランスの諺を掲げます。「30歳前に社会主義者でない者は、ハートがない。30歳を過ぎても社会主義者である者は、頭がない」(296頁)。30歳以降の思想形成のためには、人間行動を経済学的に説明する手法を学ぶことも重要だと思いました。

  【マイ・ライブラリー/本日の配架】

 有斐閣さまより『ポケット六法』の2007年版をいただきました。この場をお借りして、御礼申し上げます。

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2006年12月 2日 (土)

週末読書

 今週は、高橋三郎=新田光子『大学生入門』(改訂版、2006年、世界思想社)を読みました。(2時間程度で読めました)。この本も、1年生ゼミに役立てようとの動機から読みました。

 内容は2部構成で、前半は新入生のための大学生活入門、後半は図書館利用からレポート作成法といった実践編です。

 前半部分は、新入生の「期待」と「現実」の相違を実際の大学生活を舞台に説明してあり、良書だと思います。とくに、教員の視線(立場)から「現実」の背景を淡々と述べてありる点が面白いです(決して教員の言い訳ではありません)。たとえば「つまらない授業」や「休講の理由」など、一読してください。

 後半部分は「プレゼンテーション入門」と題されて、レポートや答案の作成方法が述べられています。「プレゼンテーションは、狭い意味では、自分を『売り込む』ことですが、広く考えれば、他のひとたちにたいするコミュニケーションそのものと言えます。ですから、プレゼンテーションの核心は、『相手にたいする思いやり』以外のなにものでもありません。」(83頁)というくだりは、なかなかのものだと思います。

 教員側の目も開かせる内容の本でした。

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2006年11月26日 (日)

週末読書

 今日はあまり天気が良くないので、自宅で一日過ごす予定です。

 今週は小堀桂一郎『靖国神社と日本人』(PHP新書、1998年)を読みました。来週の1年生ゼミでの課題図書として指定したので読んだのですが、なんというか、靖国神社を崇拝する保守的内容の書物でした。著者も「老来靖国神社に対しての思い入れ、乃至はそれに心を傾けることのいよいよ深くなるばかりであることを自覚し」(3頁)つつ本著を上梓したようなので、もしお読みになる方がおられたらそのことを意識して読んでください。ただわたしは読み終えたあと、著者の言うような「自分の現在の安寧が如何に夥しい死者達の自己犠牲の上に築かれたものであるかといった深刻な因縁に気づ」き、「人生に対して、いわば少しまともな態度を取る様にな」(270頁)りたいと思うようになりました。

 学生用の課題としてではなく、8月15日に前後にでも読みたかった一冊です。

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2006年11月18日 (土)

週末読書、M・フリードマン

 昨日(17日金曜日)は健康診断のため、午後、早退しました。医師会館で行いましたが、多くの方々(そのほとんどの人も企業の健康診断のようでした)が来ていて、午後中かかりました。

 今週は、ジョン・グレイ『自由主義の二つの顔:価値多元主義と共生の政治哲学』(松野弘監訳、ミネルヴァ書房、2006年)を読みました。Cimg0228 ロールズに代表される自由主義政治哲学が普遍的レジームを追い求めていることを「空文」であると喝破する興味深い書物です。ただ、価値多元主義下において政治哲学を形成しようとするなら、その基盤には諸価値間における「暫定協定」を置くしかない、というグレイの議論は、規範理論として政治哲学を構築しようとすることをそもそも放棄する試みといえ、現時点におけるわたしには納得いかない点も多々あります。グレイの政治思考は当初は自由主義を標榜していたのが新自由主義的になったかと思えば、自由主義の立場を放棄してしまうというように変転しており、その点については批判もあるのですが、本書は監訳者や解説者のよれば、グレイの政治哲学の「一つの到達点」と言えそうです。今後の規範理論は、グレイの懐疑主義に応答する必要がありそうです。

 【訃報】20世紀を代表する古典的自由主義者で1976年のノーベル経済学賞受賞者ミルトン・フリードマンが、16日、サンフランシスコの自宅で亡くなったそうです。94歳でした。フリードマンは反ケインズ派「マネタリスト」集団であるシカゴ学派の重鎮。わたしもこの学者には非常に興味があり勉強しようとは思っていたのですが、数年前の正月に箱根駅伝を見ながら『選択の自由』(M&R・フリードマン著、西山千明訳、日経ビジネス文庫、2002年)を読んだだけで、不勉強のままでした。これではいけないと思い、早速、大学の図書館から数冊のフリードマン本を借り出した次第です。Cimg0231

 とくに彼の妻ローズによる『ミルトン・フリードマン:わが友、わが夫』は読書計画に早速くわえたいと思います。

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2006年11月 5日 (日)

文庫・新書de憲法学①

 結局よく晴れた三連休はどこにも行きませんでした。行楽をする心のゆとりがなかったのです。

 この週末は長谷部泰男『憲法とは何か』(岩波新書、2006年)を読みました。

Cimg0216  この本は個人にとって大切なことまで規範理論の傘下に治めようとしているかに見える「憲法というものの危険性」をウイットにとんだ筆致で述べています。すでに憲法学界の中心に鎮座している長谷部先生の“すこし斜めに構えた憲法論”はわたしの好きな憲法論です。

 こっそりブログ上ではじめた「文庫・新書de憲法学」という連載の第1回目に紹介する新書として相応しい内容の本にめぐり合いました。ただ、初心者向きではなく、学部の講義等で憲法学を受講した中級者向けの本だと思います。上級者の方は、各章末に掲載されている【文献改題】を参考に、勉強を進めるのもよいでしょう。

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2006年10月28日 (土)

週末読書

 土曜・日曜と「父母懇談会」のために出勤です。大学は忙しいところになりました。

 今週末は武居一正『法学部新入生のための学ナビ』(法律文化社、2006年)を読みました。Cimg0206 昨今の大学では、1年生段階から「ゼミ」と呼ばれる講義が開講されています。このゼミでは大学での過ごし方から講義の受け方、ノートの取り方から単位の取得方法などを講じています。ただ、多くの現役教員は、大学生当時にはこのようなゼミがなかったのではないでしょうか。だから、まだ戸惑いながらの講義となっています。かく言うわたしもその一人です。新入生ゼミの内容を少しでも向上させるために、この本を読みました。とくにこの手の本には珍しく法学部新入生を対象にしているところにひかれました。

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2006年10月22日 (日)

週末読書

 みなさん、週末はいかがお過ごしでしょうか。わたしは金曜日には姫路よりさらに西のある高校で「法学部ガイダンス」をやりました。19名(男子16名、女子3名)の高校生の前で、法学部のカリキュラム、取得可能資格、卒業後の進路について、お話ししました。

 土曜日にはわたしの出身大学で月に1回開催されている研究会に行きました。憲法に関する報告2本を聞きました。ひとつは平等原則の実体内容に関するもので、この実体を記述することは難しそうだなぁ~、と思いました。もうひとつは「政府言論」に関するもので、政府自身が主体となり管理・表示された言論は市民の言論の自由に基づく訴えから免除される、というアメリカの判例法理を聞きました。

 今日日曜日は、学園祭の教員当番として、出勤しました。当番(といっても研究室で待機しているだけですが)をしながら、来週の講義の準備をしました。

 さて「週末読書」ですが、今週末には日垣 隆『父親のすすめ』(文春新書、2006年)を読みました。実体験に基づく子育て論で、興味深いものでした。まだわが家の娘は小さいので、まずは「いただきます」「ごちそうさま」を言えるように、食事中はテレビを見ない、ということから実践したいと思います。

 【マイ・ライブラリー/広島で購入】

 レオ・シュトラウス『自然権と歴史』(昭和堂、1988年)[Amazonで在庫切れになっていたので入手困難か?]

 ホセ・ヨンパルド=三島淑臣【編】『法の理論 8』(成文堂、1987年)[1年に1冊ずつ刊行される法哲学の論文集]

 ハンス・ケルゼン『自然法論と法実証主義』(木鐸社、1973年)[アカデミー書店という古書店で購入。表紙が破れて(セロテープで修復)いるものの2000円だった。神田では比較的状態のよいもので5000円だったと思う]

 樋口陽一『憲法概論』(放送大学振興協会、1989年)[ケルゼン本のついでに購入。1989年に刊行されているということに意味ありか?]

 この他に『ひと目でわかるFrontPage 2002』なる本を購入した。マニュアル本がどれほど役に立つか分からないが、HPを改修するときに参照しようと思ったので。

 あと、福岡の中2が自殺したことに関し、生徒と「いじめ教師」を実名で報道している『週刊新潮』(2006年10月26日号)を購入し、新幹線の車中でながめた。

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2006年10月15日 (日)

週末読書

 週末は先日近くの古本屋で見つけた日垣 隆『日本につける薬』(実業之日本社、2004年)を読みました。日垣さんは同郷ということで以前から親近感がありました。

 日垣さんのものでわたしが初めて読んだ本は、新潮社から2003年に出版された『そして殺人者は野に放たれる』です。この本は「精神障害犯罪者」の問題を圧倒的な取材力で解き明かし刑法39条の削除を主張した本です。この本を読んだ時「ただ者ではない」と感じました。

Cimg0200  『日本につける薬』は就職を控えたまたは子育て中といった比較的若い世代に向けられたコラム集です。その中には「人は讃えられたり、期待されていないと、なかなか『力』などでないものだ」(40頁)といった“ぐっと”くる文章や1995年2月号の“ナチ「ガス室」はなかった”との記事で廃刊に追い込まれた「マルコポーロ」事件から学ぶべき真理を力強い筆致で説いたものなどが散りばめられており、お買い得な本でした。

 つぎは『父親のすすめ』(文春新書、2006年)を読んでみたい。子育ての方針を模索中なので。

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2006年10月10日 (火)

学会出張・週末読書

 先週末は学会出張のため「お~お~Mじ~」大学に行きました。学会テーマは「現代における安全と自由」でした。

 新幹線の中で上坂冬子『戦争を知らない人のための靖国問題』(文春新書、2006年)を読みました。その一節「人も国もいくつもの発展段階を経て成熟していくものだが、それにつけても見落としてならないのは時の流れと世の趨勢であろう。人は流れに沿って現実を見据えながら精一杯の判断を下し、時流と絡み合わせながら正当と思われるものを評価して時代を乗り切る。時点を変えて別な判断を下したいなら、時点が変わったことを前提に打ち出して、あの時はあのように思ったが、いまにして思えばこのようになると、回想を込めて評価を変えるべきだ。にもかかわらずA級戦犯に関して非難、中傷するとき、回想と半世紀後の時点での評価を、混同して論じる人が多すぎる。」(55頁)がこの本で言いたかったことのすべてであると思います。A級戦犯に対する評価だけでなく、B・C級に対しても、またあの時代の日本全体に対しても、作者は上記と同じ注意を払って評価すべきであると言うのでしょう。

 そもそも「靖国」本を読んだのは、1年生ゼミで「靖国問題」をレポート課題に指定したからです。憲法学者として政教分離という憲法理論との関係では考えたことのあるこの問題も、少し広い視点から、歴史的背景等も含めて考えてみることはありませんでした。他の人のものも読んでみようと思います。

 【マイ・ライブラリー/東京からの配架】

 丸善丸の内本店で以下の洋書を購入しました。

 Collinson & Plant ed., Fifty Major Philosophers (second edition, Routledge, paperback 1988).

 オックスフォード大学出版から刊行されているA Very Short Introduction シリーズを3冊、Raymond Wacks, Philosophy of Law (2006);Kenneth Minogue, Politics (1995);Bernard Crick, Democracy (2002). 【これらは岩波から「1冊で分かる」シリーズとして順次翻訳されています】

 Larry Alexander, Is There a Right of Freedom of Expression ? (Cambridge U. P., 2005).

 日垣 隆『父親のすすめ』(文春新書、2006年)【これでわたしも「父親」になれるであろうか】

 それと学会の会場で学会誌『公法研究』第68号(有斐閣、2006年)を購入しました。これは昨年度の公法学会での報告がまとめられています。

 【ベスト・ショット】

Cimg0180  新幹線から写した富士山です。初冠雪しています。

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2006年10月 4日 (水)

週末読書

 10月になり、後期講義も本格的になってきました。今日は本務校を離れて、県内の某教育大学に出講しました。激変の時代に大学は退職者のポストを埋めることなく非常勤講師でまかなう例が増えています。わたしが大学院生だった頃は、院生が受け持つ非常勤校は1校程度でした。現在は非常勤のポストが増えており、比較的時間に余裕のある院生は引っ張りダコのようです。

 先週末はジョン・グレイ『自由主義』(昭和堂、1991年)を再読しました。この本はわたしの蔵書にはないので、勤務校の図書館から借り出して読みました。かつて読んだことのあるこの本も、少し知力が向上した今だから、よりよく理解できました。人間知性の限界を説きそこに自由の源泉を見出した古典的自由主義に対して、新しい自由主義は社会生活を合理的に再構成しようとしていることが、コンパクトにまとめられた良書であると思います。また私有財産と市場経済が自由主義の不可欠の要素であることも明確に指摘されています。ただ翻訳本に特有の読みにくさがあるのは致し方ないところでしょう。

 【本日の出来事】夏の甲子園決勝カードの早実と駒大苫小牧の再戦が兵庫国体の決勝で叶い、早実が再び勝利した。

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2006年9月25日 (月)

週末読書

 本日から後期の授業が始まりました。あと13週で春休みです。

 先週末には阿部謹也『ヨーロッパ中世の宇宙観』(講談社学術文庫、1991年)を読みました(本の映像は、9月10日の記事を参照してください)。

 本の内容は、解説者の言うように「差別=賤視は、異能力者に対する畏怖から発生する」(275頁)ことを、中世の文書を読み解く中で明らかにしていくもの。非常に面白かった。また「ハーメルンの笛吹き男」が賤視された理由を説くところは学術論文なのでアカデミック。

 ところで、わたしが「おっ!」と思ったところは、中世においては交通事情も治安も悪かったために、国王が臣下を引き連れて租税を徴収する旅に出ていたという部分。「国王や伯の旅は統治の必須の手段」であったのだ。そして16世紀になると文字の利用がヨーロッパ全土で可能になった。こうなると「世俗君主の統治手段として文書が決定的な役割を果たすようになり、行政を担当する官僚が大量に形成され」(78頁)たと言う。

 専門研究に関係ない本を読んでいると面白くて勉強が進まなってしまいますが、一見関係なさそうなものでも、ときに「目からウロコ」の気づきを与えてくれるのは楽しいものです。

 【昨日の出来事】大相撲秋場所千秋楽。横綱朝青龍が18回目の優勝を飾った。横綱昇進が期待された白鵬は千秋楽結びの一番で気合いを見せるも8勝に終わり横綱昇進は振り出しに。大関への返り咲きを目指した雅山も後半追い上げたものの9勝止まり。

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2006年9月17日 (日)

週末読書

 昨日は関西の研究会に出席した。学会・研究会に出席するのはそれなりに難儀なことであるが、誌上でしか触れられない学者の声に生で触れられるのは良い機会だ。

 研究会への道すがら、阿部謹也『北の街にて』Cimg0085 (洋泉社新書MC、2006年)を読んだ。作者は一橋大学大学院修了後、最初の勤務地として、小樽に行く。本書は副題「ある歴史家の原点」にもあるように、この小樽が彼の「世間」研究のまさに「原点」を得た地であるというのである。

 ただ同時に小樽での生活はそれなりに閉塞感のあるものであったようだ。はじめて大学に職をえた喜びと、いままでの生活から離れてしまい何となく根無し草になったような気持ちが入り乱れた閉塞感は、わたしにも理解できる。いわく、

 「商大の研究室からは小樽港が見えた。少し坂を登ると山道となり、秩父の山を思い出させる道が続いていた。仕事に疲れると港を見おろしたり、時には少し山道を登ったりした。このような生活はこうして書いていると満足して暮らしているように見えるが、当時の私は何かに不満を抱いていた。その不満がなんであるかは自分でもよくつかめなかったが、何かに怒っていたことは確かである。その怒りの対象はもしかすると日本の学界であったかも知れないし、自分の仕事が認められないという不満であったかも知れないが、当時はそれらみんなであると思っていたのかも知れない。今になって思えばそれらは少しは当たっていたが、それだけではなかった。」(232頁)

 ただその著者も12年の小樽生活を経て、小樽という街に郷愁と同じものを感じるようになる。12年間の生活がつぎのような感覚を抱かせているというよりも、わたしは、最終的に東京に戻れた(閉塞感を抜け出す満足を得れた)ことによるところが大きいように思う。うがった見方であろうか。

 「ひとつの町に長く住むとその人の全人生に大きな刻印が押されることがある。私の場合の小樽はまさにそのような町であった。この町で私は初めて職に就き、この町で初めて学問の道を歩み始めた。その町で初めて東京以外の世界を知り、内地とは異なった文化のあり方を知った。」(261‐262頁)

 講義負担が少なく研究環境に恵まれていたとしても、大学人はそれだけでは、満たされないのだ。凡庸な大学人であるわたしはそう思う。

 【昨日の出来事】中日ドラゴンズの山本昌投手(41歳)がナゴヤドームで行われた阪神タイガース戦でノーヒットノーランを達成。ノーヒットノーランの最年長記録を更新した。

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