週末ではないけれど読書
みなさま年末休みはいかがお過ごしでしょうか。わたしは雑務に追われています。
雑務の中でも一番面倒なのが「出席カード」の整理です。後期授業開始以来、常々やろうやろうとしていたもののなかで一番気になっていたのがこの「出欠カード」の整理なのです。ただこれをやり始めると実に大変。そのうえ面白くないときている。とくに非常勤先の受講者名簿は学籍番号順になっていないので(選考順?コース順?)大変です。目がチカチカします。
「出席カード」整理の合間をみて、阿部謹也『大学論』(日本エディタースクール出版部、1999年)を読みました(図書館の本なので写真はありません)。著者は、元一橋大学の学長で、ブログでも紹介したとおり、本年9月に逝去しています。
本書のなかでわたしが一番感銘を受けたのは、著者の「教養観」です。著者は本書の中で「教養」を以下のように定義しています。
「教養というのは社会の中で自分の位置を知ろうとする努力、あるいは知っている状態、あるいは知ろうとする努力の総体を言う。つまり、社会の中で自分はどう生きているのか。どういう状況にあるのか。何ができるのかということを知ろうとしたり、知っている状態を教養と言うのだ。」(86頁)
つづけて、社会の中で自分の位置・状況を知ろうとしたところに「個人の誕生」を見て、世界史的には12・13世紀のことであった、と言います。
著者によると、社会の中での自分の位置・状況を考えるために参考となったのが「古典」でした。12・13世紀当時、そういった思考の手がかりとなるものは、古典しかなかったとしています。この古典はラテン語で書かれていたので、古典語ができる人は教養のある人だ、と考えられるようになり、それがやがて、古典の作品を読むことが教養と同義語になっていった、と言います。
「そうか!なるほど!」と思いました。
この他にも著者は、大学をめぐる四方山のことについて、開陳しています。
たとえば、学生による授業アンケートについて、「学生というものはどんなに勉強しない学生でも優れた教師を峻別することができるののである。」(175頁)と言います。また、大学の建物については、以下のように言っています。
「わが国にはハコモノという言葉がある。それは施設の中でも建物のことをいうらしい。ハコモノという言葉には研究や教育の内容は込められていない。……研究・教育の場としての建物は研究・教育にふさわしいものでなければならず、そのためには研究・教育の深い関わりをもつ人たちによって設計されなければならない。……そこに入れば特定の雰囲気が感じられ、衿をただして学ぶ姿勢を想起させるような建物でなければならないのである。」(191-192)
「大学改革」が叫ばれている昨今。大学に身を置く者として、さまざまな場面で、大学論というものを耳目するようになりました。わたしの読書の一部にも「大学論」が取り入れられています。
とまぁ、なんやかやと言いましたが、また「出欠カード」の整理に戻ります。
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